江戸時代、水戸街道の宿場町として栄えた取手の町。街道を行く大名の休息や宿泊のため、徳川家から取手宿の名主である染野家が本陣に指定されたのは貞享四年(1687年)の事でした。その取手の名家染野家の娘・染野せんを嫁にもらいこの取手宿本陣のそばで豆富屋をはじめたのが初代香取半次郎。時文久二年(1862年)。
肥沃な大地と利根川水系のおかげで瑞々しい大豆や豊かな水に恵まれつくりあげられた豆富は、この地の名物として本陣にて宿をとる大名を喜ばせたと伝えられています。
明治維新後、この豆富づくりは香取半次郎の一人娘ヤスが染野家の養女として豆富屋を継いだ事から、染野家が代々この秘伝の豆富作りを継承していきました。
昭和に入ると取手市本郷に分家の染野豆富店ができ、本家の半次郎商店とともに成長をつづけ、平成16年両店を統合し新しく染野屋が発進したのです。
明治時代までは、ほとんど肉を食べる習慣のなかった日本人にとって、重要なたんぱく源となったのは、海や川でとれる魚介類と大豆でした。特に大豆は、昔から日本各地で利用されてきた大切な食品です。
大豆からつくる豆富は良質な蛋白質の供給源ですが、それ以外にも体に良い栄養成分がいろいろ含まれています。
豆富は日本では古くから料理として利用されており、豆富を多くとっていた地方で長寿者が多いことから長寿食ともいわています。
豆富は、最近では海外でも健康食として認知されるようになっています。
豆富は「tofu」と呼ばれ、今や世界共通語といってもいいほどです。
私たちの食生活は、日本の伝統的食生活パターンである「ごはん」を中心として、大豆・野菜・魚などの素材を用い、醤油・味噌・だしなどにより、調理・味付けされた副食を組み合わせたものが典型的でした。
このようなパターンに畜産物や油脂類が加わり、1980年頃には、主食であるお米を中心として畜産物・果実などがバランスよく加わった、栄養バランスのとれた食生活「日本型食生活」が実現しました。
子どもたちが健やかに成長していくためには、適切な運動とバランスの良い食事、そして十分な休養と睡眠が大切です。「よく体を動かす・よく食べる・よく眠る」という子どもにとって当たり前の生活スタイルに乱れが見られます。